四方八方よりどりけり

世紀毎に感じるものとは

ふりかけごはん

「今日ふりかけないんやけど!!!ご飯食べれへんねんけど!!!!」

 

 

中学校、昼食の時間にそう絶叫する友達がいた。ふりかけがないと白ごはんが食べられないらしい。横にいた女の子による過度な同調を受け、その子はおかずをバクバクと食べ出した。

 

それから私は、ふりかけ を親が持つ買い物カゴに入れ続けた。親の買い物に同行する度に。
ふりかけ がかかっていないご飯は食べる価値が無いのだ。ふりかけごはん こそが、「お弁当」であるのだ。

それから私は、わずか14歳だった私は。毎朝毎朝、母が作ってくれたお弁当を包む際に ふりかけを忍ばせた。ふりかけを忘れてしまった際は絶望した。お弁当の蓋を立て、昼食をやり過ごした。ふりかけごはんじゃない、真っ白なご飯を隠すために。
小中高と、5人以上の明るめ女子グループに所属していた。小学校は給食があり、高校は良い意味で他人に興味ない子が多かった。なので、キラキラが好きな彼女たちに囲まれ、必死に素朴なご飯を隠したのは「中学校の思い出」である。キラキラが好きな彼女たちを見て、キラキラを模索した日々である。

 

当時は前髪の分け方がわからず、部分的に切っていた。ヘアアイロンなるものは家にあったが、使い方がわからない。当時見ていたインターネットは「ハム速」と「アイドルのまとめサイト」である。当然の如く、其処に生息するネット民たちが前髪の流れを知っているわけがない。彼ら彼女らが興味を持つのは、政治やサブカルや今後の組閣である。

部分的に切っていた事実が発覚された時は、恥ずかしさの余り地に還ることを覚悟した。前世紀に戻るのだ。しかし、我々は関西人であった。全てを笑いに変えてくれた彼女らに感謝する。キラキラJCでも、関西では笑いこそが正義である。ありがとう、ありがとう関西。おもろいんが善や、わかるで。世界では、そんなことはないことを。

 

それからというものの、国語の授業ではウケを重視した。席が前後の女の子と、音読で迫真の演技をかましていた。皆が早口で音読を終える中、此処が私たちのステージよエブリワンと言わんばかりに気持ちを込めた。窓側の席で良かった、背後には何もない。

 

 

笑いはともかくとしてみよう。文化資本も家庭環境も違う子供達が、地域毎に、学区ごとに分けられる。小さな社会体験とも言うにしては、閉鎖すぎる世界である。ヒエラルキーやステータスはいつの間にか決まっており、端から両思いになったりする。端からカップリングが成立し、季節の移りと共に地に還る。前世紀に戻るのだ。

美容院のお姉さんが言っていた。
「学校って片っ端から両思いになっていきません?あの子がこの子好きで、」

私の行きつけの美容院は此処で決まりや。

 

自分自身は委員長キャラでもあり、塾に通い続ける日々であったため、混沌に馴染みきりはしなかった。否、半身は常に怯えていた。大して尊敬する必要もない陸上部の先輩に媚びへつらっていた。余談をするなら、「先輩がしてた いじめは、先輩本人に全部返ってきたらしい」という話を聞いて輪郭の線が緩んだ。

「カレーをぐちゃぐちゃに食うなよ!!!!!」と、言ったガキ大将的な彼とか、
「えっ????笑」
と、最早台詞も覚えていないけど全方向を煽り散らかしていた彼女とかを思い出す。

学歴戦争に助けられた人間も一定数いるんだろうな と思うと共に、公立私立の学費問題を考えたりする。
IQの差が会話の齟齬に繋がる説を思い出す度に、世界中の人と友達になっていくバックパッカーが「Hello!!!」と声をかけてくれる。

 

全世界の人類と友達には一生をかけてもなれないのだろうが、

「結局、白ごはんが一番美味しいと思うねんな」

と言ってくれる同志とは環境の垣根を越えて話してみたい。成長と共に広がる世界と、己の「好き」に自信が持てていく。