四方八方よりどりけり

世紀毎に感じるものとは

「大脳辺縁の馬鹿野郎」

 

 大脳辺縁系に向かうあの匂いが好きだった。

 

 色んなことを教えてもらった。恵比寿のビールは高価な分、美味しいこと。女子大学の文化祭には、ナンパ目的の高学歴男子大学生が多くいること。哲学科には一定数失踪者がいること。自分の失望は、学問で説かれているかもしれないこと。

 

 週に一度、色んなことを教えてもらった。週に一度、家を訪ねていた。

 ハンドルネームは友達の名前を借りたこと。昨日会うはずだった初対面の女の子に、電話越しで泣かれたこと。涙の理由は知らないこと。恵比寿のビールが好きなこと。

 

 週に一度、彼のことを教えてもらった。週に一度、家を訪ねていた。

 適当な右指が適当に弾いた出会いだった。お互い他を保持していた。それが心地よかった。執着はしないでいい、それでも定期的に安心できる日がある。私に従兄弟はいないから、妄想が現実になった気がした。本当の血縁者だったなら大問題だが。

 恋愛感情の無い相互承認は、私に解放感を覚えさせた。それでも時折、日常で思い出していた。週に一回の横たわった時の匂いを。フルーティとフローラルとバニラが混ざった匂いを、道端でよく思い出していた。

 

 わざわざ視線を交える必要はなかった。恵比寿のビールは私には合わなかった。流す音楽はのっぺりしていて、早送りしたかった。冷蔵庫みたいな部屋だから、いつも羽織るものを持って行った。

 よりによって匂いだけが、全力で私の胸にキラキラを運んだ。

 

 次の日取りを決めている時、唐突に謝罪を受けた。私からの連絡は嬉しいという彼に、面倒事は勘弁だと告げた。私らしいと言われた。まあそんなもの。枕元で匂いを手繰る。ときめきの対象が実体でないことを認識した。その日は風呂に入らず寝た。

 

 

 翌朝、大脳辺縁系が何かを告げた。正体は私のトリートメントだった。本当に恋ではなかった。なんでい。私は、彼のSNSをブロックした。