コンテンツとしての己について
己のコンテンツとしての魅力が全くわからない。
急に私が自撮りばっかあげても、意味が含有されていない文面をあげても別に需要に応えているわけじゃないことはわかっている。
今日のご飯、通りすがりの猫、コンビニの新作スイーツ、世界への平和、友達への感謝、空海陸生きとし生ける生態系全てに「おやすみ」
言えない。言えるキャラじゃない。お、重い…自分のキャラが…。
選考中にやっていたことが、1日1ギャグ→1日1喋り、作詞作曲、文章吐露、鍵をつけたり外したり消えたり…。何者すぎる。何がしたかったんですかって言われたら「この時は…」って順序させる必要がある。めんどくさすぎる…。
評価されたであろう部分は、社会と己についてグルグル考えて書いた文章なんやろうと推測している。
多分。それが等身大の1少女を表していたし、コンテストの意義を為すパーツの1部分だったろう。実際に最初からの戦略としてキャッチコピーに目をやっていたし、「消したい衝動」に見舞われながらも頂きました~!はい生一丁!!!!!!って感じ。どんな感じ?Feelをそんな楽に使ったらあかん。英単語をやり直せ。
TOFELの試験って初手は結構きつくないですか?最早トラウマなんですが。猛者ばっかりいた。彼ら彼女らは何のためにあのスキル証明書を求めていたんやろう。友達は詐欺したTOEICの点数を「本当(マジ)」にするために奮闘していました。
つまりはそういうことで、軽い気持ちでつくった像は「本当(マジ)にする」でもアリなんやろうと思うのです。
にしては、にしては最近の自分切り替えスピードが速すぎる。ネタにならないんだよ こんなんじゃよおおう。今からがっつりフェミニズムの話をしてついてこれますか?私には無理ですマイダーリンひえひえ。何が嫌なんですか?も、燃えたくない…。目を見張るものがありすぎて、こりゃあだめだあ。一個一個紐解いてもいいんですが、迫りくるは不自由の生活環境。日常の安定を求める私に、突飛な刺激を求める権利もないのです。
己、己を…。
たった一言を取り出して、「は?うるさ」で済ませなくもないくせに拡大拡大拡大。掘り下げて掘り下げて文章に展開していく。メンヘラって言われるのも使うのも嫌いなんですが、多分的を得ているファッションメンヘラに成り果てたらどうしようのマスカル。己を…。
方向性を考えてみる。
①社会に全振り→まず炎上が目に見えるので、社会的死のルートを想像しなければなりません。選考中に「SNSが誰かに乗っ取られて炎上する夢」を永遠に見ていた私には耐えられません。俺は、弱いッッッ!!!!!!
②音楽に全振り→来春の引っ越し先でアコギは弾けません。活動停止ッッッ!!!!!!
③ネタツイをする→正直したいけど需要はあるのか?私の「おもろッ」は偶にするから趣がある。万バズまで何日か、とかいきますか?正直「私以外誰もわからない笑い」を愛しているところがある。ひねくれッッッ!!!!!!
④オタク話を喋る→なんか喋る動画が一番ウケ良いんですけど、なんでですか?受動が難しくて能動を愛しているので、他人の創作物を永遠に語ることができるのか?映画鑑賞より読書の方が進む。読書より創作の方が進む。己がコンテンツッッッ!!!!!!
⑤顔をあげる→「そういうことがしたいんじゃない」って病んだ過去の自分…。
己、己を…。私の魅力ってなんですか><とかも別に言えない。
結果、出そうなものを排出するだけの無限ループへ。これでええんか、これでええんかマスカル…。
どうしてこんな悩んでいるのか、暇だからです。暇は人をダメにする。だから文豪の皆さんは文章を書き続けたのね。ダメな私の方が創作意欲が上がるので、とりあえず後3日はこのままでいいかもしれないです。本末転倒。