四方八方よりどりけり

世紀毎に感じるものとは

アガリのお茶

「ぬるい」

 

 

 

その表現は、まさに私の立ち振る舞いを言い得ていた。さすが僕の好きな友達や!ありがとういつも!これからも仲良くできたらええなあ!友達は数じゃなくて深さやな!大学の頃に「とりあえず連絡先交換」みたいな出会い厨してたん、8割が近況も知らんなあ。友達って素敵!

 


なんてニコニコしだすことも、ぬるい。ぬるい。

酒の後はアガリが飲みたい。ラーメンをかき込む人々は、きっと違う種類の胃を持っている。課金するか、天性の胃を持っている。ほんまにすごい。見ている場面がフィクションだと錯覚するほどである。ほんまにすごい。結局、美味しいのは熱いお茶だと信じて疑わない私である。この季節となると、私は常々お湯を沸かし、お茶を淹れ、お湯を沸かす。

 


中学生の時の私は生徒会活動をしており、授業中に「静かにしよ」と言うほどの真面目ちゃんだった。「真面目ちゃん」という表現それ自体に嘲笑を感じる人がいたら申し訳ない。私としては、中学生の頃の自分が可愛くてしょうがなくて「ちゃん」付けを行なっている。嘘である。早い、俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。誰やねん。「演じる」とかペテン話をし出す展開でもなく、ただただ、「真面目ちゃん」であった。

生徒会は、身体能力故に貢献性を感じなかった部活動を思って選挙に立候補した。今思えば、「何かに貢献しなければならない」ことが性格を表していたんやろうか。もしくは、「何かができないと居場所として心狭い」やろうか。由緒正しき感が溢れ、伝統なるものを重んじる部活動だった。

伸び伸び喋らなくても存在できる「場」がホームであるといい。「空間社会学」の顕著な例は割れ窓理論だったりする。

私のクラスからは、私以外に3人ほど生徒会に立候補していた。結果、私だけが当選した。クラスはお通夜状態。二者面談でも先生はお通夜状態。母親は「出る杭は打たれる論者」であった。気まず〜い雰囲気の中で、気まず〜く表向きは成功した。

「そういう星の下に生まれてるんや」友達から貰ったこの言葉で、多くの不都合を精算する最近である。

 


よく言えば「良い格好しい」悪く言えば「良い格好しい」名前が出るだけで動揺と共に血反吐オンパレードになる人と似ている。

愛想や媚びが力になると思ってたら、人生と社会はそんな甘くなかったよおおん。搾取構造やらなんやらに尻尾振ってたよおおん。なんていうきっかけの話がある。そこからウンヌンカンヌンしてきたものの、初対面でニコニコしない自分が想像できない。

否、前よりはマシになってきているはずである。「かわいい」「かっこいい」「素敵」「優しい」どの人がどの言葉を求めていて、どのトーンが欲しいのかを想像する。それを最近やめて、一呼吸置いて帰ることが多くなった。ほどほどが一番なんやろう。

そしてそして、ヘラヘラ加減をイケメン道に振り切るのである。ニコニコ〜ではなく、ニコッ。イケメンキャラなるものは、自他共に生きやすい気がする。さっさと転移すれば、彼女たちとも上手く関係性を築けたかもしれない。根本的な性に合ってない わけではないんやから。ハンサムショートにしてよかった。

 


図らずして彼ら向きとなっていた外見を全てやめてみた。耳、目、髪の長さに髪色、ファッションスタイル。肺と財布を思ってしまうので、煙草は手に取らないが。

「男の影響でタバコ吸ってる女の子、嫌やな〜笑」と笑っていた彼は、自分の影響で女の子に煙草を吸って欲しいんやろうなあ。

「ひどい男」を夢見る彼らにサイコパスと分類される方々をミーツミーツさせたら、どうなるんやろう。人は皆異常に憧れる。異常というほどのモノでもないんやけれども、私は君らの武勇伝に成り下がる気はない。願う通りに泣けなくて申し訳ない。デュララララ、ラララ。

メンヘラとメンヘラ製造機男論争があるが、双方「なりたい人たち」が存在する。ランナーがいる限り、やっぱり概念という名のゴールは存在するんやろう。

 


私が以前書いた「2Lラバー」という曲は、女の子が来るたびに2Lの水を用意してる男の子の曲である。2Lの水を毎日飲み続けると、水中毒を背後に据える代わりに代謝が変わる。

 

 


「ぬるい」

 


ぬるさが丁度良い。ぬるさの距離感は適切である。誰も火傷しない世界は、優しい世界だと信じて疑わない。体感温度は多種多様なんだから、皆が触れられる温度がいい。誰も傷つけないように、自分を傷つけないように。一面どころか五面ほど狂気じみてる。

「真面目ちゃん」は笑うタイプと笑わないタイプがある。主人公の正ヒロインになるのは、笑わないタイプである。取捨選択が上手くなったら面白くないのが人間という哲学であり、物語であり、恋愛であり、遊びである。

 


猪突猛進が与えるダメージを、躊躇するようになった自分は面白くない。面白くないんやろうけど、だからといって直そうとも思わなくなってしまった。自己投影をしすぎて自殺してしまった方のニュースを見たことがある。父は泣いていた。母は携帯を見ていた。私はご飯を食べていた。犬は寝ていた。

他人の曲で自分の意思を伝えようとする。仲直りしたと思っていた女の子が、帰路の途中で上げたであろうストーリーにはドン引きした。

自分の曲で、自分の文章で、自己表現をし続けないときっと、きっと何も無くなってしまうのかもしれない。体感温度は多種多様なので。

 


身を投じて、どうなってもいい と思える程の恋に恋しそうになった時であった。その一歩もフィールドもないから、今はお茶を嗜むしかないんやけれども。